Top
新しい一日に「はじめまして」!
 こんにちは、ライフ!
 ――あら。ごきげんよう、涼理ちゃん。今日も人間たちは慌ただしいのね。朝早くから、スーツを着たサラリーマンが坂の向こうへ歩いていったわ。それにチラホラ学生も。まったくご苦労さまなことね。
 今日は、一週間のド真ん中、水曜日だもの。大人は会社に行かなくちゃ。
 ――ふふ、そうね。でも、曜日も会社も、ネコの私には関係のないことだわ。……ところで涼理ちゃんも、これから学校?
 そう。……でも少し、ライフとお話したいと思うの。今日は早めに家を出たから。それに、ちょっと休憩したいし……。
 ――あなたいつも、真っ青な顔して坂道を上ってるわね。今にも倒れやしないかと不安になるわ。
 えへ、実は一回、倒れてしまったことがあります。
 ――笑い事じゃないでしょう……。
 でもね! 少しずつ、ラクになってる気がするんだ。毎日毎日、こうして坂道を上っていると、少しずつ体力がついていってる気がするの。だからきっと大丈夫だよ。

 ……ライフに聞いてほしいの。これまでのわたしが考えてきたこと。そうだな……。まずは「私」というものについて。
 ――真剣な話なのね。いいわ、聞かせて?
 つまりその、どこまでがわたしなのか、わたしとわたしでないものを分ける境界はどこにあるのかという話なのだけど……。わたしはね、つい最近まで、心が「私」なんだって思ってたの。身体の中心にある「核」のようなもの。それが肉体を制御している。だから、身体は精神の奴隷。……そんなふうに思ってた。
 ――ふぅん、人間ってフクザツなのね。
 でも、少し考えて思ったの。心と身体を別のものみたいに考えるのは、間違いなんじゃないかって。「これが心」「これが身体」ってスッパリ分けられるものではない。それに、心は見たり触ったりできるものではないから、身体とはジャンルが違うようにも思う。
 ――心と身体を、分けなければいいの?
 うん。……もともと一つであったものを分けるようになってから、人は色んな「分裂」に悩まされてきたんだと思う。それは、心と身体の分裂もそうだし、人と人との分裂もそう。人は今、一人一人が隔たっている。それは、求めてそうなったことだけど、その一方で、人はつながりを求めてる……。
 ――なるほど?
 自分とは何か。よく分からない。周囲の人とちょっぴり違う自分でありたい。でないと自分を保てない――。そんなような不安から、人との違いを必死に探して、違う自分を立てようとする。みんながみんな多かれ少なかれそうだから、人々はどんどん分かたれていく。
 ――うーん、よく分からないわ。人と人とは、はっきり分かれているのではなくて?
 物理的にはそうかもしれない。でも、わたしたち人間にとっては、分かれているとかつながっているとか「感じる」ことに意味があるの。
 ――でもそれは、心と身体を分けてるんじゃないかしら?
 あっ、そうだね。難しいな……。
 ――ふふ。でも、何となく分かったような気がするわ。
 それにね、物理的にも、境界ははっきりしてないんだと思うよ。人間には皮膚があって、それが人と世界を分ける境界のようにも思えるけど、ホントは皮膚は壁じゃない。大小異なるたくさんの穴が開いていて、そこで物質のやりとりをしているの。だから、実ははっきり分かれてない。

 じゃあ、次は「境界」ということについて。
 ――境界ね。ワタシ思うのだけど、人間は何かにつけて境界をはっきり引きたがるように見えるわ。そうね……。例えば、国境とかそうでしょう?
 そうだね。人は、自分の周りにあるものを分けたがる。たぶん、「分かる」ためには「分ける」必要があるから。
 ――そうなのかしら? ワタシにはあまりピンとこないわ。
 んっとね。人は境界を引くことによって、内と外を分けられる。例えば……。国境は、自国と他国を分けている。皮膚は、わたしと世界を分けている。それと同じように、人は「分かること」と「分からないこと」を分けるの。そうすることによってはじめて、人はそれらを分かるようになるんだと思う。
 ――それらというのは?
 「分かること」と「分からないこと」。
 ――「分からないこと」も分かるようになるの……?
 そう。人間は、まったく分かっていないことも分かったつもりになることができるんだよ。例えば「神」とか「無意識」とか。わたしたちに分からないことって色々あると思うんだけど、その分からないものに名前をつけたりすることで、何か分かった気になれる。それが「分からないこと」を分かるということであって、そうするためには「分かること」と「分からないこと」の間に境界を引く必要があるんだと思う。
 ――なるほど。それは、物理的というか、目に見える境界でなくてもいいわけね?
 うん、そうだね。
 ――でも、境界は動いてしまうわよね。「分かること」と「分からないこと」の境界も動きつづけると考えていいのかしら。例えば、ネコ社会のテリトリーも動きつづけるものだけれど……。
 そう、動いている。やはり世界は生きているから。でも人間は、止まった境界を求めてしまう生きものなのかもしれない。はっきり「分かって」いないと落ち着かないの。それは「秩序」ということにも関係してくる。
 ――人間ってややこしいのね。生きてて疲れない……?
 うん、疲れる。わたしもネコになりたいなー。

 つづいて「秩序」についてです。
 ――分かったわ。
 人は秩序を求めてる。でもそれは、いわゆる「自然」には反しているのかもしれない。というのも、「エントロピー」という言葉があるそうだけど、自然は放置しておけば、どんどん「乱雑」に向かうらしいの。温かい水と冷たい水は、混じり合って一定の温度に向かう。部屋は片付けないと、どんどん散らかっていく。そして、生きものが死に向かうのも、そこが「安定」であるから……。
 ――面白いわね。確かに、生きものは死んだあと、他の動物に食べられたりして身体はバラバラになっていく。それが「乱雑」ってことかしら。
 うん。そして、乱雑は安定である一方、秩序は不安定な状態なの。人間は、この不安定な秩序を作ろうとする。境界を引くことによって。
 ――ん? どういうことかしら。
 つまり……。境界を引くことで、一つのものが二つに分かれる。そのどちらかにわたしが属しているとすると、わたしの属すその領域が「内」になる。そして境界の向こうは「外」になる。ここまではいいかな……? そうして分かれた領域の、内側を「秩序」、外側を「混沌」と見なすのだと思う。
 ――なるほど? 人間って、そういうふうなのね。
 たぶん。それでね、さっき言ったように境界は動くものなのだけど、それに反して、人は境界を固定したいと考える。国境とかもそうだけど、その時々で境界が動いてしまったら困るでしょ? だから、動いてしまう境界を「国境」という制度で縛りつけて動かないようにしているんだよ。そんなふうにして、ここまでが「私」であるとか、ここまでが自分の家であるとか、人間は決めたがる。
 ――それがいけないことってわけ?
 うーん……。確かにね、そうすることで人間は進歩してきたのかもしれない。でも、わたし自身もそうだったのだけど、秩序ということを気にしすぎると、とても生きにくくなってくる。動いているものを止めようとするんだから大変なことだよ。境界をこえて、カオスが秩序を乱しにくるでしょ? 内のことだって、放っておけば乱雑になる。境界自体も揺らいでいるし……。
 ――どだいムリな話だわね。
 そうだよね。でも、わたしもちょっと前までは、そうやって日々を生きてたんだよ。自分の秩序を、とにかく必死に守ろうとしてた。
 ――よくぞ今まで生きてきたわね……。
 あはは、ホントに。……じゃあ、次は「退屈」について話そうかな。まだ時間は大丈夫?
 ――ええ、大丈夫よ。ネコ社会に時間なんてないのだから。

 ……毎日、退屈だった。それはきっと、わたしの世界が秩序立っていたために。
 ――整っていることは退屈かしら。
 そうだと思う。自分にとって新しいこと、未知のものというのは、秩序の外の領域にあるの。カオスを恐れて、自分のキレイな世界に閉じこもってしまうと、新しいものが得られなくなる。そして退屈が訪れる。
 ――退屈するのはいけないこと?
 ううん、そんなことはない。でも、秩序が高まれば高まるほど、乱雑になろうとする力も強まっていくと思うの。そしてそれは人間の、色々な行動に表れる。例えば、誰かと話したいという思いとかね。コミュニケーションは「交流」。思想と思想の混じり合い。そうして秩序は崩される。
 ――ふぅん……。
 あるいは自殺もそう。さっきも少し言ったように、死は「私」の境界を失って、世界と混じり合うこと。秩序というのは、ひとつの力だと思うのだけど、力の行き場をうまく見つけてあげないと、「秩序を死によって崩そう」ということになってしまう。……というのが「死にたい」という気持ちの、ひとつの説明になるかもしれない。
 ――なるほど、中々面白いわね。人は秩序を作ろうとするけれど、秩序の境界を固定して、そこに安住し始めたら色々マズいっていうわけね? うーん、それならずっと、無秩序に生きればいいのではなくて? そう、ワタシたちネコみたいに。動物みたいに。
 うん、それはわたしも考えた。でもまぁ、それでも人は「知りたい」と思っちゃうんだよ。それで科学も発展してきたのだし。
 ――ふーん、そんなものかしら。

 ――じゃあ、「自由」についてはどうかしら。先日あなた、「三つの自死因」の話をしてくれたわよね。それにも自由があったけれど……。
 うん、そうだね。自死因では「〈私〉は身体に働きかけない」ということが不自由の根拠となったのだけど、今までの話、とりわけ「私」の話を踏まえるなら、問題は問題でなくなるように思う。つまり――〈私〉というのは「心」のようなものだけど――心と身体を分けていたからそういう問題が生じていた。でも、心と身体をはっきり区別しないなら、その問題は消失する。と、わたしは思う。
 ――心と身体は、ひとつになれたというわけね。めでたいことだわ。
 わたしの話は「理屈」なところがあるけどね……。
 ――まぁ、心と身体、一致したと仮定しましょう。それであなたは自由になれた?
 うん……。完全に自由なんてことはないのかもしれない。ピッタリ閉じた「殻」の世界なら分からないけど、完全に閉じてしまうなんて出来っこない。それに、「私」とか「心」とかいう言葉だって、社会の中で学んだこと。学んだ言葉を使用して物事考えているのなら、思考もそれに縛られている。つまり、自由じゃないってことになる。
 ――細かいことを言うなら、そうなのでしょうね。でも、問題となっていたのは、あなたが「能動的に」行為を起こす、そのモチベーションとなるような自由ではなかったかしら?
 ……そうだね。ビリヤードの球の動きは、はじめの一突きで決まってしまう。それと同じように、宇宙の始まりに「一突き」があって、わたしたちの人生は決まった動きで決まった終わりに向かっていくビリヤードの球と同じならば、わたしの自由なんてどこにあるんだろうと思ってしまうよね。
 ――そう。それをあなたはどう考えるの? あなたがこれからの人生を主体的に生きていけるかどうか。ここにかかっていると思うわ。
 うん……。ビリヤードと宇宙……。似ているようで違うのは、ビリヤード台は有限だけど、宇宙は無限だということ。「宇宙は今も広がりつづけている」だなんて言うじゃない? 「ここまでがわたしの世界だ」って決めることができない。だから、わたしはビリヤードの球じゃない。
 ――うーん、理屈は分かるけれど……。
 ……「私の自由」を考えるとき、わたしとわたしでないものの境界は、閉じて固定されている。でも、本当はそんなことあり得ない。境界は動きつづけているし、内と外との交流もあるから。誰かと話して、呼吸して、世界とつながって生きている。
 ――なるほど。どこまでが私なのか、境界がはっきり決まらない以上、「私の自由」なんて考えられないというわけね。
 そう。
 ――でも、あなたはそれでいいのかしら? そうして「私の自由」を放棄することは、自分の行動の原因を、自分以外にも委ねること。それってとても受身じゃない?
 確かに、そうかもしれない。でも、多かれ少なかれ、生きることには受身なところがあるんだよ。「受身」と言うとネガティブに聞こえるけど、それは「つながり」であるし、「生かされ」てるってことでもある。そんなふうに考えて、わたしはちょっと安心したんだ。それまでずっと、ひとりだったから……。
 ――「生かされ」ね……。でも、「死」は境界を失うことよね。そして世界に溶け込んでゆく。なら、本当の安心、本当のつながりは、死の世界にこそあるのではなくて?
 うん、実はわたしもそう思う。生の世界では、本当のつながりを得ることはできない。でも、得られないからこそ、そこへ向かっていけるんじゃないかな。わたしたちは、途中の道を歩いてるんだよ。
 ――死に至る道を? なら、どうしてあなたは……?
 ほんの少し、先の未来を見てみたいと思ったから。……いや、違うのかな。現にこうして生きていること。色んなことをひっくるめて、それを受け入れられたのかも。

 「生」は、動きつづけていること。変わりつづけること。わたしは、自分の「生」とは何なのか、「私」とは何なのか、だなんて必死に分かろうとしていたけど、つまるところ、分かってしまって終わりなら、それは変化を否定して自分を固定化することになるのだと思う。それだと今までのわたしといっしょなんだ。
 ――分かろうとしてはいけない?
 分かろうとしてもいい。でも、それにこだわらないこと。何かを分かってしまったら、それに揺さぶりをかけること。そういうふうにやっていきたいなって……。だからね、わたしはまた「自殺」とか、そういうことを考えるかもしれない。また、次の夏がやってきたら。でも、そのときはそのときで考える。そうしたいなって思ったの。
 ――そういうあり方に、あなたは「生」を見出したのね。よいことだわ!
 あはは、ありがとう。
 ――でも、そうね。それってとってもネコらしいと思うわ。自由気ままに。明日の心配なんて不要なの。
 そうなんだ。それ、すごくイイね。
 ――そうよ。……あなたもネコとして生きてみない? わたしはあなたを歓迎するわ。
 あはは、ライフありがとう。でも、やっぱりわたしは人間だから、人間社会で生きていくよ。
 ――ふふふ、そうね。それがいいわ。
 それにね。人間も悪くないなって、少し思えるようになったから。ネコみたいな人がいれば、イヌみたいな人がいて、鳥みたいな人もいる。それってとても面白いことだと思わない?

 ん、そろそろ学校に行かなくちゃ。ライフ、今日はありがとう。付き合ってくれて。
 ――ふふ、楽しかったわ。また今度、気が向いたら聞かせてね。
 うん。……ところで、ネコって「約束」するの? ちょっと気になったのだけど。
 ――もちろん、しないわよ。明日の自分も分からないもの。
 あはは、そうだよね。……じゃあ、わたしもライフと約束しない。たまたま出会って、たまたまそのとき気が向いたら、ライフとお話する。……それでもいいかな?
 ――ふふ、あなたマジメね。そんなこと、いちいち言わなくてもいいのよ。
 うん。じゃあね、ライフ。さよなら。
 ――学校、がんばってね。さようなら。



 目眩のするような坂道を、一歩一歩と進んでいく。登下校の坂道だ。
 暑さは少し和らいで、日の暮れるのもずいぶんと早くなった。夏の終わりだ――。塀の向こうから聞こえていた蝉の声も、今はスッカリ聞こえなくなった。
 今年の夏。本当に色んなことがあった。こうしてありきたりの日常に戻ってきて、坂道の上に立っていると、それは一夜の夢のようにも思えたりする――。
 日常。見慣れた坂道――。
 同じような日々の反復に、わたしは飽き飽きしていたんだ。この先ずっと、同じような毎日をくり返すのだと思うと、本当に気が狂いそうだった。
 でも、それは――。
 自分の「分かる」の領域に、世界を押し込んでいただけだった。分からないもの、手に負えないものから目を逸らして、見慣れたものだけ見つめていた、分かりきってしまった世界。安心を抱いた一方で、反復の重みには、やはり耐えられなかったのだ。
 見つめよう。流れる雲、風に揺れる花、枝から枝へとジャンプする鳥。世界はこうして生きていて、毎日変わっているじゃないか。
 そしてわたしも動きつづける。それが生きるってことかもしれない。
 ――そんなような心持ちで、同じ制服を身にまとった一人の少女を眺めていたら、どうやらそれに気付いたらしく、小走りでこちらにやってきた。
「楯川さん、おはよ! 学校まで、いっしょに行こ?」
 えっと、誰だろう。同じクラスの子かな――?
 クラスメートの顔さえも把握しきれていないわたしだったが、兎にも角にも、わたしたち二人は歩き出した。夏休みは何をして過ごしたとか、誰々の授業はつまらないとか、そんなことを話しながら。
 少しの期待。少しの怯え。
 これがきっと、「殻」を開くということなのだ。扉を開ければ、良いものも悪いものも入ってくる。――当たり前のことだ。
 これこれを正しいと思うこと。それはひとつの始まりに過ぎないのだろう。考えがちなわたしだけれど、とにかく行動に移さなきゃ。そう、今こそ実践のとき!
 えっと、この場合は――?
「あの、わたし、クラスのこと良く知らなくて……」
「ん?」
「つまりその。ゴメン、名前なんだっけ?」
 わたしの隣を歩いていた彼女は、「ズコー」という擬音を伴いながら、漫画みたいに転がり滑った。そして、苦笑交じりの自己紹介タイム。などなど――。
 ――わたしはふと、空を見上げた。
 命あるもの、みな等しく死んでゆく。出逢いがあれば、別れもある。変わらないものなんてないのだろう。
 生きていようと死んでいようと、人は世界とつながっている。でも、そんなふうに言ってみたところで、やっぱりわたしは、どこか別れを恐れているし、近くの人のその「かたち」を愛おしいと思うのだ。
 失われてしまうからこそ、今を大切に――。
 考えつづけて出した答えは、あまりにもありきたりな文句だった。
 でも、今はこれでいいと思った。この一欠片の満足で、また少しだけ進めるから。

 そして――。
 坂道を歩いてゆく。
 宇宙につづく、夏空の下。
 きもち足取り軽やかに、この坂道を上ってゆくのは――。
 殻の中の〈私〉ではなく。
 楯川涼理の身体ではなく。
 それは「わたし」の歩みだった。
Top